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  • 執筆者の写真Akagi Lab

令和6年能登半島地震-早期復興への祈り

「令和6年能登半島地震」において、多くの尊い命が犠牲になりましたことに、深い哀悼の意を捧げます。同時に、この地震で被災された皆様に、心よりお見舞い申し上げます。一日も早い復興を心からお祈りしています。


色々なご縁があり、私は2002年から2005年(約3年間)と2008年から2020年(約12年間)まで、石川県金沢市に住んでいました。


金沢の冬は非常に寒く、雪による交通障害に悩まされることもしばしばありました。それでも、とても暮らしやすい街で、春は山菜、夏は釣り、秋は紅葉、冬はスキーと、季節を楽しみながら過ごすことができました。


志賀町西海漁港や能登島での海釣り、穴水町営野球場での子供の試合、能登青少年交流の家での親子合宿、能登町アストロコテージでの家族旅行、のと里山街道、能登丼、千枚田、ヤセの断崖などなど、金沢にいながら能登を満喫することができました。


2024年1月1日。私たち家族は実家のある福井県にいました。小さな揺れを感じたので、テレビをつけると、すぐに緊急地震速報が流れました。その後、福井にも震度5弱の揺れが到達しました。幸い植木鉢が倒れる程度で、私たちに大きな被害はありませんでした。


しかし、能登地方には震度7の巨大な地震が襲い、大津波警報が発令されました。時間の経過とともに被害状況が明らかとなり、輪島市では大火災が、珠洲市では多くの住宅が全壊していることが報道されました。被害の全容はまだ把握できていないことでしょう。以前、私たちが住んでいたエリアの近くも大きな土砂崩れがあり、避難命令が出ていました。


東日本大震災の際も同様に感じましたが、こうした時は自分が何もできない、非力さを痛感します。私たちにできることは何でしょうか。


被災地の復興には組織的な支援が必要不可欠です。信頼できる組織に対して、「募金」という形で経済的な支援をするのが最初に考えられる方法です。また、長期的なサポートも重要です。被災地の特産品を継続的に購入することも、支援の一環となります。そして何よりも、被災していない私たちが健康で暮らし、社会を支えることが重要だと感じています。


大きな災害が発生すると、多くの負傷者が出る上、被災地の医療機関や医療従事者さえも被災し、医療が十分に提供できなくなります。


その際にはDMAT(災害派遣医療チーム)が被災地に出動し、現場で医療行為を行います。この制度は、阪神淡路大震災を教訓に設立されました。日本各地にDMATが存在し、通常は自分たちの地元の病院で通常業務に従事しています。大規模な災害が発生すると、各地からDMATが被災地に集結します。


一方で、各地の病院がDMATとして医師や看護士を派遣することで、自分たちの病院の医療スタッフはその期間中減少することになります。多くの病院がギリギリのスタッフで運営している中で、一人減ることがどれほど痛手であるかを考えると、被災していない我々が健康を保ち、病院にかからないように心がけることが地元の病院機能の維持にとって重要です。医療資源も貴重です。自分が救急外来を受診しないように生活することが、結果として被災地復興に貢献するのではないでしょうか。恐らく、医療従事者に限らず、警察や消防、自治体職員なども被災地に派遣されていることと思います。各組織でも同じことが言えるでしょう。


継続して社会を動かし続けることも肝要です。日々のニュースで被災地の状況が報道され、その深刻さが伝えられる中、どれほど甚大な災害だったかがよく理解できます。テレビ越しに被災者の話を聞いていると、自分だけが安全な場所にいることに罪悪感を覚え、様々な活動を自粛すべきかと感じます。しかし、自分の活動を抑えることで、それが地元あるいは日本の経済を停滞させてはなりません。被災していない我々こそが、今まで以上に活発に活動することで、日本の社会や経済を推進することが大切です。必要以上の自粛は、むしろ被災地復興の足を引っ張ってしまうと思います。


「被災地の早期復興を祈りながら、自分も健康に気をつけ、社会を動かすこと」。


まずはこれを意識し、自分のできる範囲で積極的に行動することが、被災地支援に貢献する一環となるのではないでしょうか。


最後になりますが、改めて被災地の一日も早い復興を心よりお祈り申し上げます。



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